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“片貝システム研究所情報交換会”出席報告(日语后面有中文)

2013年10月15日


今朝10時~12時“片貝システム研究所情報交換会”に出席しました。


メンバー達は現在活動していることを報告したり情報やアイディアを交換したりしました。私が紹介したのは、主に下記の3点です。

1.日中未来子供写真展
莫邦夫事務所と他の協力方々と共同主催した日中未来子供写真展の大盛況及びこの写真展のボランティアを1日やったこと。それに、10月17日(木)~10月23日(水)の2013年東京・中国映画週間を紹介し映画を見に言ってねとお願いしました。
10月18日のレセプションパーティーに、片貝システム研究所所長の片貝さんは自費で出席することになりました。片貝さん、ありがとうございます!楽しみにしております!
他のメンバー達は行けるかどうかまだ分らないが、結構興味を示してくださいました。

2. 山形県最新技術で作られた無添加干し果物
大木社長と袴田さんからいただいた山形県最新技術で作られた無添加物干し果物の資料をお配りしました。これも皆さんは結構興味や熱心を示し資料を受け取ってくださいました。今後何かお手伝い出来そうなことがあればご連絡をくださることになっています。

3. 安崎グローバル企業発展研究会
安崎暁グローバル企業発展研究会へのご応援を呼びかけました。
ご応援を呼び掛ける理由を下記の通り語りました。
① 元小松CEOの安崎暁先生は、日中経済人交流の促進を通じて日中関係の改善に貢献したいという晩年の志を持って、これを行動に移し人生最後の仕事だと言っています。必要な活動経費を出してこの交流活動を推進するボランティア活動家です。この志に感銘した私達も、ボランティア精神がだんだんアップしてきて、頼まれた翻訳以外の面でも応援しております。また、中国側の協力会社も先生の志に感銘し積極的にご協力されています。
② 日中関係を改善して得するのは決して中国だけではなく、日本の為にもなります。 したがって、彼が日本の為に人生最後の仕事をしているとも言えます。
③ おかげさまで、今現在研究会のFacebookページにいいね!をしてくれた方が150名を超えました。いいね!をしてくれた方々に本当に感謝感激です!あなたがいいね!を押したアクティビティは他の友達にインパクトを与えて、当研究会に関心を持つ仲間は集まってくると信じています。

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今早10時~12時出席了“片貝システム研究所情報交換会”。


研究会成员们报告了自己最近的活动,并互相交换信息,分享新主意。我主要介绍了下面3件事情。

1. 日中未来孩子照片展

莫邦夫事务所与其他协力方共同主办的日中未来孩子照片展的盛况以及我为这个照片展览作了一天义工的情况,另外还介绍了10月17日(周四)~10月23日(周三)的2013年東京・中国电影周,请他们有空去看电影。 结果,“片貝システム研究所”所长 片贝桑说他愿出席10月18日的电影周宴会。多谢片贝桑破费,宴会上再见! 其他成员虽然不知道能否去看电影,但是都表现了对电影周的兴趣。

2. 山形县最新技术生产的无添加物水果干

分发了来自于大木社长和袴田桑的,采用山形县最新技术生产的无添加成分的水果干资料。大家对此也表现出充分的兴趣和热心并接受了资料,说以后若能帮上忙再联系我。

3. 安崎晓跨国企业发展研究会

呼吁大家支持“安崎晓跨国企业发展研究会”
首先说明了为什么希望大家支持本研究会:
① 到了晚年的小松原CEO安崎晓先生有个志向,就是希望通过促进中日经济人士之间的交流活动对改善中日关系有所贡献。他不仅如此想,而且已经将此志向付诸于实际行动,并表示这是自己人生中最后一份工作。他拿出自己的金钱作为必须的经费推行这项活动,是真正的义工型活动家。我们有感于安崎先生这个宏伟的志向,义工精神也在逐日增长,在他委托的翻译工作以外义务支持着他其他方面的工作。另外,中国方的协力公司也感于安崎先生的志向,积极地支持着这项工作。
② 改善中日关系的受益方绝不仅仅有中国,更有日本。因此也可以说,安崎先生为了中日友好,更在为日本做这最后一份工作。
③ 承蒙多方关照,到今天为止,本研究会的脸谱网页的订阅读者已经超过了150名。谢谢点击“いいね!”的各位!您点击“いいね!”的行动一定会被您其他的脸谱朋友们注目,让本研究会获得更多的理解与支持者。

日中未来の子ども100人の写真展(日语后面有中文:代表日中未来的100位孩子照片展览)


2013年9月30日


今日は東京増上寺“日中未来の子ども100人の写真展”最終日。

私は11:30~16:30ボランティアとして働かせていただきました。帰るとき、写真展にいらして下さった方はすでに400名を超えました。この大盛況から日中友好の未来像が見えてきました。

近年日中政府関係が悪化していますが、民間交流は中断することはなかった。





今天是东京增上寺“代表日中未来的100位孩子照片展览”的最后一天。

11:30~16:30我作为义工到场服务。截至我回家时,参观展览会的客人已经超过400名。如此大盛況展示了日中友好的将来。

近年虽然日中政府交恶,民间交流却从未间断。

遣唐使留学僧弘法大師空海の足跡を辿る四国遍路文化ミニ体験レポート(気ままな乱記?)

2015年7月18日


7月12日~13日、徳島を旅してまいりました。

2日間と言っても12日午後神山町見学や翌日午後安崎先生の講演会参加がマストなので、時間的にお寺巡りは一軒もできなかった。が、弘法大師空海の足跡を巡る四国遍路文化体験というタイトルを変えるつもりも、変える必要もないと思います。
何故かと言えば、この2日間、空海が何回も話題になったり、私の頭にも時々ごく自然に浮かんできたので、彼が今でも生きているという説を当たり前のほど信じるようになったからです。

さっそく、時系列に気ままに書きたいと思います。

●神山町見学
7月12日12半頃、日中交流誌「和華」孫秀蓮編集長と一緒にJAL便で徳島空港に到着し、到着ロビーで、すぐに出迎えに来てくださった安崎先生のご友人で株式会社リレイションの祁答院社長と顔合わせができました。
祁答院社長がとっても優しい方で、私たちを乗せた車を神山町への山道を走りながら、私たちから連発する質問ににご回答をいただきました。
約1時間後、神山町に着いてさっぱり昼食後、幾つかの会社が入っているサテライトオフィスへご案内、資料を使って簡単なレクチャーをしてくださいました。

レクチャーによると、高齢化や過疎化などの問題を抱え人口が6000人に激減した神山町でしたが、NPOグリーンバレーと地元住民や行政と密接に連携行動し懸命に神山町の起死回生に取り組んでいました。そしてサテライトオフィスを利用する会社や移住者が増えて2011年に転入数が転出数を上回るという実績をあげて総務省にICT活用地域活性化モデルとされるようになりましたと、等々素晴らしいお話を聞かせ、徳島県の方々の立派な活動に感心しながら、ひょっとしたら空海も密かに神山町の起死回生に一助となられたかもしれないと思いました。

その後、札幌から神山町への移住者で中山啓さまご夫婦のお宅を見学し、古民家の建替えに励んでいる奥様の姿が強烈なインパクトを与えてくださいました。元グラフィックデザイナーの奥様は、ご購入の180年もの歴史ある古民家の設計から建替えまでをすべて自らやっているそうです。

古民家の再建が奥様のご趣味であり毎日の生活になっていると、ベトナム語がペラペラ喋れるご主人の中山様がおっしゃってました。その体力や耐力や精神力はどこから得たのでしょう?もしかして…大変感心して、失礼じゃなければ、奥様を神山町の神姉様とお呼びしたいです。

また、WEEK神山というお店を見学しました。外から見ると特殊な印象を与えてくれなかったが、中に入るとなかなか出たくないところです。優雅で芸術家のスタジオみたいし、とっても落ち着かせる雰囲気なので、本当に料理屋ですかと何回も尋ねました。店を出るとゲストハウスが目の前にあります。店とゲストハウスも再生された古民家でまだ木の香りがして、青山に囲まれ、心身のリフレッシュに最適なところでしょう。

ちなみに、祁答院社長も徳島市への移住者で、NPO活動家兼企業家として、神山塾の運営やいろんなビジネスの開拓に携わり、NPOとビジネスのハイブリッド化などを通じて神山町の起死回生のために大いに腕前を発揮されている方です。

●ミニ日中懇親会

さて、7月12日夕方頃、神山町を出ました。休めずに車を運転して徳島市へ向かう祁答院社長に申し訳ないですが、私と孫さんは知らずに仮眠したりしてました。ホテルにチェックインして一休み後、祁答院社長はまた迎えにくる約束をしてくださいました。

そしてチェックイン1時間後、予定通りに祁答院社長とホテルのロビで集合し、どこかの居酒屋で飲み食べ話ししようとホテルを出ました。途中、祁答院社長はもう一人ご友人が来るよと言って間もなく、ご友人3人もいらして、中国人2人、日本人4人のミニ日中懇親会へ発展!

初めて入ってみた居酒屋は満席だったので、また周りの店をのぞんだりしてもう一カ所小さいが良さそうな居酒屋に入れました。
何を食べたのかを覚えてないが、すべて美味しかっただけを覚えています。

実は、美味しい料理よりも、新しく出会った祁答院社長のご友人3人との話し合いのほうが印象に残っています。

この日の会話と翌日の会話をまとめますと、

まず前職が公認会計士だった岡田育大様、徳島実家の林業経営者として、伝統経営から環境配慮型へ、家族経営から地域活性化へ、経営理念や方向転換し、主に東京と徳島間で様々な新しいビジネスを開拓し実践している、存在感が極めて大きいと思われる実業家です。

次いでは元カメラマンの株式会社丸菱を経営している石井友規様、今は4K映像コンテンツの制作を通して徳島の魅力アピールに取り組んでいます。4K番組が見れるテレビはすでに商品化されているが、4Kコンテンツが少ないのが現状でこの現状を変えようと。また、来る東京オリンピックの開催時から、8Kコンテンツが放送されるので、恐らくその時から4Kが淘汰されるでしょうと。なお、人間の目にも限界があり、8K以上のコンテンツが出たとしても8Kを取り替えることがないだろう、8Kが主流になるだろうと。
技術革新が早すぎてついて行けないような気がしますが、かなり新鮮な話題で大変勉強になりました。
せめて8Kの時代前の短い4K時代に、4Kテレビを購入する必要があるかどうかを判断材料をいただきました。

そして3人目は旅人理事の伊祁宏将様で地域活性化への貢献を熱望している方です。
伊祁様の父親がお寺の住職さまですので、自然的に彼と空海が話題になり、空海がまだ生きているという話で盛り上がりました。
また、あるお寺の住職さまがなくなり、後継ぎがいないので韓国人の奥様が後継いでいるお話を聞いて女性も住職になれることが初耳でかなり驚きましたが、よく考えてみると、そのお寺の存続という大きなことに比べると、お寺の住職を引き継ぐ方が男性か女性か、形の問題に過ぎないことを悟りました。

日本で伝統を守りながら新しいことも受け入れる、このような体質を整えられているのは、数多い伝統が百年も千年も守られてきた一要因じゃないかと思います。

2時間ぐらいの日中懇親会では、美味しく飲み食べながら、四人と楽しく話し合い多くのことを学びました。

●阿波踊りに酔いまくり


ミニ日中交流会の翌日朝一、ホテルでさっぱりした朝食を食べて一休み、また迎えにいらした祁答院社長と一緒に安崎先生を迎いに空港へ向かいました。
昼頃、安崎先生、昨日ミニ交流会参加者全員に加え、もう一人岡田さまの秘書、合わせて8人が一緒に昼食を食べました。

安崎先生のご提案で、岡田さまの秘書が孫さんと私を車に乗せて阿波踊り会館へ向かいました。

毎年7月から8月、日本全国を大いに盛り上げる様々な盆踊り祭りは、日本夏の一大風物になっています。
数年前に私は新宿駅近くで阿波踊りを見たことがありますが、その発祥地の徳島県で見るのが初めてでした。
小さな会館ですが、阿波踊りが始まると、目の前の阿波踊りの迫力に震撼し、その独特の美しさに目を奪われて心も奪われました。
朴質無華という中国語成語があり、質素で飾りないという意味で、質素を強調するので華美と無縁のように思われますが、阿波踊りは、男踊りの質素さと女踊りの華美さ、何故か二つのイメージが極自然に重なり凄艶さを演出しています。阿波踊りを見ながら、朴質無華という本来の中国語が、朴質驚艶という姿で頭に浮かんできました。
最後の踊りは、曲名が分からないが、光と踊りで吹雪、月、桜色などが素早く入れ替わり、四季の風景や人間仙境を素晴らしく演出されました。眼も心も酔わされました。
それに、ずっと身を低くして踊る男性が艶ぽっく上品で優雅に踊る女性達をより美しく引き立ているのも大変面白くて、紳士的だと大変感心しました…

●安崎先生講演会及び懇親会

その後、安崎先生の講演会場へ向かいました。
会場に着くと、また来場者300名以上の盛大会場の迫力に震撼しました。
16時頃から安崎会長による「戦わずして勝つ経営体質作り」をテーマとする講演を拝聴し、
その後、とくぎんサクセスクラブ会員懇親会に出席し、美味しい地元料理を別腹でも入れないほど堪能しました。

「戦わずして勝つ経営体質作り」講演会&懇親会の様子は、下記のレポートに纏めております▼
安崎会長、7月13日徳島銀行主催の講演会で講演レポート


2日間と短い旅でしたが、東京圏で見れない風景を見れて、体験できない独特の伝統文化を体験できてたくさんのことを学びました。

●今も生き続ける空海

最後になりますが、タイトルにあげた四国遍路の話題に戻ります。
今回は四国八十八箇所巡礼は一箇所でもできなかったが、空海がどこかのお寺にじっと閉じ込んで瞑想やお経を唱える修行僧でなく、彼の足跡が八十八箇所のお寺を繋げる道に遍在するに違いない。私が2日間に踏んだ道には、きっと空海の足跡も残されていると思います。

遣唐留学僧の空海について億分の一しか知らないかもしれないが、彼が唐から学んだのはお経を唱えるだけではなく、井戸堀り技術など現世庶民に役立つものもありました。そして、彼はこういった技術の普及や衆生救済のため香川県の堤防建設を含む土木事業を多数行いました。
空海が四国に残したのが、"DO”のDNAで、金銭よりも遥かに莫大な財産、あるいは財産を増やせる豊富な文化資源だと思います。

安崎先生の「戦わずして勝つ経営体質作り」という講演が理論だらけだはなく、"DO”のお話や"DO”による実績のお話が盛りだくさんありました。
なお、神山町の山道や古民家の再建に励んでいる神姉さんやこの2日間にお会いした方々の生き生きした姿にも、時代を超える空海の"DO”のDNAが潜んでいるじゃないかと思います。

そもそも仏教的に生死についての認識は俗世のと異なるので、空海は、間違いなく瞑想や念仏や唐の先生からの教えなどをすべて超越し、時代や国境の妨げも超越して生きているのです。(End)

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于7月12日~13日进行了徳島之旅。

虽说旅程只有2天,但是因为12日中午到达德岛后参观神山町以及翌日下午出席安崎先生讲演会的节目必不可少,时间上就不可能安排遍路巡礼了。不过即使如此,我也不打算更改“弘法大師空海の足跡を巡る四国遍路文化体験”这个题目,也觉得没有必要更改。
为什么呢,因为在2天的旅游中,空海好几次成了话题,更时不时自然而然地浮现在我脑海里,不知不觉中让我也相信他现在还活着的说法当然是真的了。

接下来按照时间顺序想到啥就写啥。

●参观神山町

7月12日12点半左右,我与日中交流志「和华」编辑长孙秀莲一起乘坐JAL航班到达徳島机场,在到达厅很快就与前来迎接我们的,安崎先生的友人株式会社リレイション的祁答院社长汇合了。
祁答院社长非常亲切随和,在驾驶载着我们两人的车前往神山町的途中,一边奔驰在山道上,一边耐心回答我俩的连连提问。
大约1時間后,我们到达神山町,用过清淡的午餐后,他带着我俩到了被好几家公司借用的卫星办公室,并使用资料给我们简单地上了一课。
从授课得知,受高龄化和人口过疏化等问题影响,神山町住民曾剧减到6000人,在此状况下,NPOグリーンバレー和地方住民以及行政机构紧密携手拼命发掘实施了各式各样的对策以图神山町的起死回生。随着这些活动的深入展开,利用神山町服务的公司以及移住者渐渐增加,终于在2011年取得了迁入住民数超出迁出住民数的实绩,被总务省列为通过活用ICT实现地域活性化的模范样板等等,听着这些精彩的解说,一边被德岛县人了不起的行为所感动,一边思量,空海是否也在暗中为神山町的起死回生加了一把劲呢?

之后,我们参观了从札幌迁入神山町的中山啓夫妇家。在那里,中山夫人拼命重建古民屋的英姿给我了极大的震撼。

中山夫人原为平面设计师,自从购入这已有180年历史的古民屋后,从设计到重建都是她自己日复一日亲手在进行。能说一口流利越南话的中山先生说重建古民屋已经是他夫人的兴趣也是她每日的生活。
我很好奇她如何有这般体力、耐力以及精神力,莫非…感动至极,如果不失礼的话,我很想称她为神山町的神姐。

接着我们还参观了一家名为“WEEK神山”的小巧玲珑的饭店。从外观看这个饭店并没什么特别之处,不过脚一踏入就不想出来了。里面装饰简单却极为优雅,好似艺术家的工作间,气氛也让人赏心悦目,心定神清,我不由问了好几次,这真是吃饭的地方啊?

出了店门,眼前便是旅舍,这个店和旅舍也是重建的古民屋,散发着木头的清香,感觉此处青山环抱,该是一个最适合修养身心的好地方。

话说祁答院社长也是从其他县迁入徳島市,作为NPO活动家兼企业家,身体力行于神山塾的运营以及各种事业的开拓、致力于NPO和实业的融合等等,在力图让神山町起死回生的实业中大显身手。

●迷你日中联欢会

却说7月12日傍晚时分,我们离开神山町。祁答院社长马不停蹄地开车返回德岛市,我和孙桑却不知不觉在座位上打起盹来。祁答院社长和我们约好,我们入住宾馆休息一下后他再来接我们。

我们入住宾馆一小时后,如约在前台大厅与祁答院社长会合,准备一起找家居酒屋吃点喝点也聊聊天。在途中祁答院社长说他有个朋友要来参加,这话说完不到一会儿,他朋友还带着另外两个朋友来了,如此发展成了中国人2名,日本人4名参加的迷你中日联欢会!

我们进入的第一家居酒屋满席了,于是出了店在周围另找其他店,最后进入了一家小巧玲珑看似不错的居酒屋。
我不太记得在那里吃了什么,只记得吃了不少美味佳肴。

然而比起美味佳肴,与刚刚认识的祁答院社长的3位朋友的对话却更为记忆深刻。

总结与他们这天和第二天的对话:

首先,曾为公认会计士的岡田育大様,从事于徳島老家的林业经营,从传统经营到环保型经营、从家族経営到地域活性化、转换経営理念以及方向、以東京和徳島为主要据点尝试开拓了各式各样的实业并付诸于实践,感觉是位存在感极大的实业家。

接着是曾为摄影家,现经营着株式会社丸菱的石井友規様,现致力于展示德岛魅力的4K映像制作。
现在能看4K节目的电视机已经面世,遗憾的是4K节目却极少,他的任务则是要力图改善这种状况。
另外,在东京奥运会举办之际,8K节目又将开始放送,那时4K节目恐怕要被淘汰了。
进而,他说人的眼睛也有限度,因此那之后即使再有8K以上的节目出现,估计代替8K不太可能,因此将来8K应该成为主流。
当今技术革新太快,虽感觉难以跟上,不过从这些新鲜话题学到了不少东西。
至少在8K时代到来前的短短的4K時代,是否有必要购买4K电视机呢,这些话题于我无疑是有用的判断材料。

第3位是旅人理事伊祁宏将様,在热心于德岛地域活性化活动中也正处当年。
伊祁様的父亲为一寺庙的住持,因此与他之间空海自然而然就又成了热门话题。
另外,听他说有个寺庙的住持离世后,没有继承人,最后由他的韓国人夫人继承其位。
头一次听说女性也可担任寺庙的住職,我大为惊讶,不过仔细想想就感悟到了,与寺庙的存续大事相比,继承寺庙住持一职是男还是女,只不过是个形式问题罢了。

日本,一边守护传统,一边接纳新事物,也许这种体质正是让许多传统得以传承百年甚至千年的要因之一吧。

2个小时左右的迷你日中联欢会,不仅享受了美味佳肴,还从与4位实业家愉快的对话中大大长了见识,可谓受益匪浅。


●惊艳醉人的阿波舞

在迷你日中交流会的第二天清晨,我们在下榻宾馆的宾馆用过清单可口的早餐,稍事休息后,乘坐前来迎接我们的祁答院社长的车,前往机场迎接安崎先生。
中午安崎先生、昨天出席迷你日中交流会全员,新加一位岡田先生的秘书,合计8人一起共进午餐。

在安崎先生的提一下,岡田先生的秘书开车送孙桑和我去了阿波舞蹈会馆。

毎年从7月到8月,五彩缤纷的盆舞大会在日本全国遍地开花,热闹非凡,堪称日本夏季的一大风物。
我曾在新宿站附近看过阿波舞,不过却是头一次在其起源地徳島县观看。
会馆虽小,但是阿波舞在眼前一开始,我就震撼于其魄力,眼睛和心灵都被其独特的美丽深深吸引了。
中国有个成语叫“朴实无华”,朴素而无浮华之意,因其强调朴素,通常说来似乎无缘于华丽,
然而阿波舞男舞者的朴素和女舞者的华美这两种元素却极为自然地结合在一起,演绎成无与伦比的艳丽。
于是看着阿波舞,“朴实无华”这个中国成语在我脑海里便自然而然地幻化成了“朴实惊艳”这四个字。
不知道最后一曲的曲名,在灯光演绎的飘雪、月光、桜花的颜色等景色快速变幻中的最后一曲阿波舞更是精彩纷呈,舞者们顷刻间便舞出了四季风光,人间仙境,来客们醉了双眼也醉了心灵。
另外,男舞者们一直低着身子舞蹈,把女舞者们的性感和优雅尤其衬托得淋漓尽致,看着有趣,更感于男舞者们甘当绿叶的绅士气度…

●出席安崎先生讲演会和联欢会

从阿波舞会馆出来后,我们直奔安崎先生的讲演会场。
到了会场,又被坐满300名以上来客的盛大会場震撼了。
我们人真倾听了16点左右开始的,安崎先生以「打造不战而胜经营体制」为主体的讲演,
之后在とくぎんサクセスクラブ会员联欢会上大块朵颐了一顿德岛的当地美味料理。

有关「打造不战而胜经营体制」讲演会以及联欢会的样子,可点击下面链接阅读相关报告▼
安崎会長、7月13日徳島銀行主催の講演会で講演レポート

2天之旅虽短,却看了在东京圈看不到的风景、体验了在东京圈体验不到的德岛独特的传统文化,得益匪浅。

●跨越时空活在当今的空海

最后,想回到标题所示四国遍路的话题。
这次虽说四国八十八个巡礼处一个也没能去,但是空海并非那种闭关冥想或者念经的修行僧,
他的足迹定是链接着八十八个巡礼处,遍及四国。
因此在我2天里踏过的路上,想来也有空海留下的足迹。

或者对于遣唐留学僧空海,我知道的不到一亿分之一,然而我知道他从大唐学来的并不仅仅是念经,还有钻井技术之类能造福于现世民众的东西。他致力于这些技术的普及,并身体力行地实施了香川县的堤防建设等等造福四国众生的土木事业。
空海给四国留下的是"DO”的DNA,是远比金钱庞大的财产,或者说是能让财产增值的丰富的文化资源。

安崎先生的「打造不战而胜经营体制」的主题演讲的意义并非在于纯理论性的泛泛阔论,更在于其中大部分"DO”的内容以及"DO”出来的实迹。
另外,神山町的山道,奋力重建古民屋的神姐,以及这2天里见到各位企业家们生机勃勃的身影里,
我想都潜伏着空海那超越时代的"DO”之DNA。

有关生死的认识,佛教与俗世本就有所不同,空海,确确实实超越了古来的冥想僧、念经僧,升华了大唐师傅所授,从而也超越時代与国境,活在当今。(End)

避暑地である中国国家森林公園「黄水」観光


2018年8月17日




8月初旬に帰省し、10日に重慶空港でFBや日中交流の場で交流を深めてきた童心社田中社長ご夫婦を迎え、私の生まれ育った石柱県に近い避暑地である中国国家森林公園「黄水」や周辺観光地をご案内いたしました。
「ご案内」と言っても、実は私の出身地は変化が大変大きく少数民族土家族とされたのも、私が大学に入ってからのことだった為、私も今回はほとんど初めて行ったり見たりしました。一緒に旅を楽しんだと言えます。

1日目は、両親が文革中に下放されて私が誕生から中学校までにいた橋頭(ダム作りのため水没された)へ、山や水に囲まれる農家楽「楠渓逸園」にて、鳥や虫で奏でているハーモニーの中で美味しい農家料理をいただきました。
14日までに、10数名の親友と旧交を温めました。プロレベルの詩人兼画家兼書法家の鄧さんから田中社長へ書法を贈られるとともに、私にも一枚くれました。普通はくれないが田中社長のお陰です。

14日までの5日間に、アマチュアガイドの私は親友達に大変お世話になりました。

8月10日 石柱 - 重庆 - 石柱 車で出迎える陳さん(週末夕方の動車チケットが取れなかった為)
8月11日 黄水周辺未公開3カ所をわざわざ開放するように調整手配した郭さん
8月11日 唐時代に遡れる皇家寺银杏堂のストーリーを大変詳しくご説明くださった银杏堂歴史研究家の杨居士
8月10-13日 石柱 - 黄水及び周辺観光点間の移動運転手兼案内
8月11-12日 黄水 - 石柱及び周辺観光点をほぼ24時間アテンドしてくれた高校の友人
8月13日 体調不良で宴会に来れなかったが、田中社長ご夫婦の為にとっても上品で地方特色ある小鳥清河客栈を予約した譚さん
8月13日 私が企画し皆を誘った黄焖鸡宴会で、最初から最後まで手足を広げ無理やりに私をレジへの道を塞いた数人の男性友人
8月13日 宴会の後、田中社长へ体験マッサージサービスを20分钟提供した鄧師父
8月14日 火鍋昼食会で再会した劉先生ご夫婦
8月14日 火鍋昼食をご馳走なおさら田中社長へ書法を贈ったプロ並みの詩人兼画家兼書法家の鄧さん

等など。書ききれず言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、残念なことも一つありました。
中国の油っぽい美食を食べ過ぎて13日午後からお腹を壊してしまい、13日夜の宴会と14日昼の火鍋食事会では見るだけでして、現在も体調を整えるように食事はお粥や面食等にしています。

安崎先生のご冥福を心よりお祈りいたします


2018年7月22日

昨日、日中交流雑誌「和華」編集長の孫さんが主催した安崎暁先生を偲ぶ会に出席いたしました。
小規模の会でしたが、参加者達と一緒に、日中国交回復前から50年に渡って日中経済文化交流に大変尽力した方、経済や社会への卓越な貢献で国から藍綬褒章と旭日重光章を授与された人物、12種類もの三国志を読んだ三国スーパーファン、去年去年10月に晩期ガンが見つかり12月に自ら企画開催した生前葬に当たる「感謝の会」で、お故郷の美しく素晴らしい阿波踊りの中で、千人近くの来場者とお別れの握手をしたりお礼を言ったりし、世界中の人々が心を打たれた非凡な方を偲びました。

この数年間、安崎先生の余生三等分主義(1.世のため人のため 2.家族や友人のため 3.自分のため)の中の①を手伝わせていただきました。2冊の本を中国語に翻訳していながら、乱世に生まれた安崎先生の人生がまさに孟子のお言葉の通りだと思っていました。「天将降大任于斯人也,必先苦其心志,劳其筋骨,饿其体肤。- 天の将に大任を斯の人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ」。また、常に著者としての安崎先生が和魂漢才か、漢魂和才なのかを考え、グローバル的に活躍されたし英語もペラペラだから、洋和漢魂才だと言うのが相応しいかもしれないと思ったりしました。

安崎先生の余生三等分主義の1.を手伝うことを通じて、私も世のため人のために微力を捧げたと思います。なお、私自身にとって翻訳スキルアップやキャリアアップだけでなく、「終活」という二文字や健康寿命を含み人生についての考えや理解も一段アップできました。これは、在日20数年にかかわったことの中で一番実りある光栄な仕事です。

安崎先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

中国人留学生が作った雑誌「和華」 | 中国留学生制作的杂志「和华」

2013年10月30日


一昨日夕方頃、待ちがねの雑誌「和華」が届きました。写真の表紙に書かれたように、留学生と社会人の提携・協力による日中の草の根の外交を目指す雑誌で、元外交官、教授、作家、芸術家、経済人、主婦、学生達の投稿が満載です。
前天傍晚,我期盼的杂志「和华」终于到了。正如封面照片所示,这是份在留学生和社会人提携下以促进草根外交为目的的杂志,创刊号里满载了原外交官,教授,作家,艺术家,经济人士,主妇以及学生们的投稿。

京都の留学生孫秀蓮さんが自分のアルバイト収入で創刊しました。凄いでしょう。大胆に考え思い切って実行に移すパワフルで若い彼女に敬意を払います。創刊号400部のうち、発売して6日間目なんと170部以上売れたそうです。
这份杂志由京都留学生孙秀蓮用自己的打工收入创办。很了不起。向敢想又果断付诸于行动的充满活力年轻的她致敬。据说创刊号400本,在6天之内已经卖出了170多本。

昨日は吉田先生、佐々木先生、千葉様達の文章を読み大変勉強になりました。千葉様の文章が漢字からスタートしちょっと長いなと最初思ったのですが、読めば読むほど面白くなり、ラーメン税で日本人が初めて自らの意思で暴動を起こす可能性もあるとまで読むと、笑いだした。芸術家ならではのユーモアがたっぷり伝わってきて理解力がアップし千葉様が言いたいことがすべて分りました。日中交流は両国政府其々の理屈よりも両国個々人の感性が通じ合い主役を演じることがあります。まさに草の根の外交です。
昨天我拜读了吉田先生,佐佐木先生以及千叶先生的文章,受益非浅。千叶先生的文章从汉字开始,最初觉得似乎长了点,不过越读越有趣,读到如果搞出了拉面税日本人很有可能自发暴动的地方不由笑了起来。我感觉到那份艺术家独特的幽默,理解力上升了,完全理解了千叶先生想表达的事情。比起两国政府各自的大道理,感性相通的两国一个一个的个人,更能扮演日中交流的主角。

また、京都大学生兼経済人元木様の中国出張記を読んで祖国の人文や最新ビジネス事情を日本人から知り面白かった。他の方々の大作も引き続き拝読させていただきます。
另外,京都大学生兼经济人士元木桑的中国出差记读来也很有意思,让我从日本人那里了解到祖国人文以及最新经济状况。接下来继续拜读其他作者的大作。

現代に生きる「三国志」語り合いによる文化交流~究極のエージングケア

2014年6月20日


三国志ファンの方々、お出番です!


皆様が三国志から見い出した時代を生きる力を語り合い、パワーを分かち合いしませんか?

来たる6月28日に日中民間交流誌「和華」は、第二回交流会(国境・時代を越える「三国志」片語り合い会)を開催いたします。

当日は、中国研究家・明治大学教授の加藤徹先生、コマツ元CEOの安崎暁先生、歴史コラムニスト上永哲矢先生、中国三国史研究家満田剛先生によるパネルディスカッションや参加者全員の活発な自由交流で盛り上がりましょう!

異なる立場の方々と様々な角度から語り合いながらきっとなるほど!とピンとくることが多いでしょう、これはまさに異文化交流の大きな醍醐味~頭のリフレッシュ体操ですよ!血管を柔らかくし、究極のエージングケア効果が期待できるじゃないかと思います。(^_^)

【日時】:6月28日(土曜日13時-17時)
【会場】:ハロー貸会議室神田
【出席者】:日中友好交流に関心を持つ方(先着90名)
【参加費】:社会人:2000円 ※「和華」第三号お持ちの方1500円
                 学 生:1000円 ※「和華」第三号お持ちの方500円
詳しい案内やお申込は
                       和華のFacebookページへ!
お申込を心よりお待ちしております!

2014年8月流水乱記~中国への旅

2014年9月2日


去る2014年8月15日に中国へ帰り、26日に日本に戻ってまいりました。12日間のことをすべて思い出せますが一つ一つ記録するのは大変なことなので、自分へポイントだけレポートします。めちゃくちゃでしょうから、「流水乱記」としましょう。(笑)

8月16日 コマツ元社長安崎暁先生新書発表会 at 上海書展に参加


企業家でもない私が参加することになった経緯はと言えば、今回発表された新書「聚变」は、安崎先生が友人との合著「日本型ハイブリッド経営」のアップグレード中国語版であり、私はこの本の中国語翻訳や安崎先生と上海側出版社間とのコミュニケーションの手伝いや日本側のブログサイト運営に携わってきました。この関係で新書発表会に誘われました。中国人ですが、実は上海書展へは初めてでして、書展での人の山人の海にびっくりしました。しかも入口の前で長蛇の列ができて、10元の入場券を15元で転売している“黄牛”の存在を知ってまたびっくりしました。ネットで偶に見る中国人が読書しないという書きこみとは何なんでしょう。一言で言えば、書展全体も安崎先生の新書発表会も大盛況でした。詳しくは下記写真及び“コマツ元社長安崎先生新書発表会 at 上海書展”をご覧ください。


8月17日 江西省景徳鎮へ


また中国人として恥ずかしいのですが、景徳鎮観光も初めてで大変勉強になり楽しい旅でした。観光が終わりホテルへ帰る途中か夜の食卓か忘れたが、なぜかまた三国志が話題になり、現地でお世話になっている運転手さんへ近くに三国遺跡ないかを聞くと、なんと車で2時間ぐらい先の九江に煙水亭という、周瑜の点将台があるそうです。12種もの三国志を読んだ三国スーパーファンの安崎先生はすぐに行こうとおっしゃってましたので、計画外ですが、翌日朝一九江へ行くことになりました。


8月18日 朝一九江へ、午後景徳鎮に戻り、夜上海へ戻る


朝一出発して運転手さんの言うとおり2時間ぐらいで九江に着きました。計画外のところで、計画外の人物~日中交流雑誌「和華」へ漢詩を2回寄稿して下さった晩影残風さんと集合し、煙水亭観光をご案内いただき、昼食をご馳走になり、お土産までたくさんいただきました。中国側ネットで3年ぐらい交流した方ですが、数十人のネット友と一緒に仲良く遊んできたので、今回は初対面でしたが、もう老朋友のような雰囲気です。彼の強みは風華雪月を詠う漢詩漢詞で、例えまともな散文や随筆を書いても締め括りはほとんど風華雪月の話しになってしまいます(笑)。彼の写真をオーペンするまでにほとんどのネット友に彼が女性だと思われていました。しかし風華雪月が強みだとはいえ、見た目は武将のような体格で実際にも友達の為に“两肋插刀”的な男性らしい性格です。そのためブログに3桁の女性ファンを持っています。三国が好きな安崎先生のお蔭で、大昔に遡り周瑜...のお蔭で晩影残風さんに会えて大変嬉しかったです。昼食後、また景徳鎮へ戻り、晩餐後上海へ戻った。


8月19日 大学クラスメートらとの食事会後、姪と紙芝居を楽しむ


午前上海側出版社と打合せして昼頃一緒に西安の羊肉泡膜を食べました。さすがに20年前に西安で食べた羊肉泡膜に比べられないが、そこそこ美味しかったです。 午後、安崎先生は小松中国投資公司へ。 私は東方航空勤務中や西南航空等上海駐在中の大学同級生6名との食事会に誘われました。中に20年以上も会っていない同級生がいたので感無量ですが、元気で若々しい皆の顔を見て大変嬉しかったです。 その後、弟の家へ、5歳の姪と紙芝居を楽しんだ。最初はあまり相手にしてくれなかったが、童心社から購入した舞台を使って「大きく大きく大きくなれ」をやり始めると、だんだん楽しくなってくれて声を出したり、写真を撮ったり、最後に自分が舞台を使って紙芝居をめぐったりしました。5歳の子供は紙芝居を楽しめる年だと思いますが、もしかしてもう少し小さい子だったら、もっと楽しんでくれるか、3歳頃が一番良いじゃないかと思いました。子供がお爺ちゃんお婆ちゃんそして両親や親戚にとっても可愛がられる中国で、心身の成長に良い紙芝居は大いに宣伝したら一気に普及するじゃないかと思います。

8月20日 “動車”で実家帰省


朝一上海発の“動車”に乗って実家へ。“動車”というのは、日本の新幹線に似っているものですが、飛行機のスチュワーデスと変らないほど若い美人の乗務員らが元気に働いています。近年実家近くに駅ができたので、飛行機より若干高いが是非乗ってみたいと思い、初めて乗りました。途中で三国時代蜀呉が争った”荊州”駅もありました。寝台車チケットを買ったので、ベッドに横になって映画を見たり食べ飲んだり寝たりして時間が早く経って、夕方頃実家に着きました。
 

8月21日~22日 実家の親友達と会ったり食べたり散歩したりしました。


下左側の写真は母親が毎日午後通っている麻雀屋です。故郷を長年離れた私は姉と一緒に、母親を迎いに行く際、この麻雀大軍陣営を見てまたびっくり仰天しました(笑)。真中のは麻雀屋近くの喫茶店です。右側は幼馴染達です。

山に登るには体力だけでできたのですが、狭い岩道を下るには体力だけではとっても無理で勇気やそこそこ強い心臓が必要です。大卒旅行で怖いものなしで華山各峰に登ったのはもう嘘のようです。右下の絶壁を見るとぞっとします。両足を震えながら、恥ずかしながら今微信上で“宝玉”と”蓝流”を名乗る男性幼馴染から手を杖として貸してもらいました。翌日から3日間ぐらい両足の筋肉が耐えきれないほど痛かった。もう二度と行かないと思ったが、皆が微信で写真をシェアすると、行けなかった友人から羨ましい、悔しいという声があがってまた来年一緒に行こうという羽目に(笑)。
ちなみに、石に刻まれた赤い字及び下の石に刻まれた白い説明文は、下にある上段右写真の中、傘をさしている“沛东”の書法です。彼も私の幼馴染の一人で、銀行員だけど余暇としてプロレベルの画家、書法家、詩人として蜀の民間一大秀才です。彼が”文弱書生”だとずっと思って来たのですが、今回彼が平気で山登りや絶壁の道を下りながら風景や撮影を楽しみ岩に刻まれた古詩を詳しく鑑賞しながら解説してくれる勇姿を見て、”文弱”と”書生”を勝手にくっつく私は強い反省をしました。

8月26日 浦東航空へ行く前に、二人の友人に会い、大変綺麗で美味しいアイスクリームをご馳走になりました。


この二人も数年前ネットで知り合ったのです。時間があまりないのでゆっくり味わうことができず食べるのを急いでました。今日会社でこの写真を出して隣席の同僚に見せたりして自慢しました。 


12日間に、書展参加、景徳鎮観光、煙水亭周瑜の点将台観光、大学同級生との食事会、姪との紙芝居遊び、“動車”で帰省、“初めてというキーワードの出番が多かった。これらの“初めて”に加え、“旧地重遊”により幼馴染達と友情を温め、美食を食べまくり... 縁と言うのは大変素晴らしいもので、どんなに遠く離れても友達を繋げてくれる。そして大きくばらばらに思われる世界を一つにしてくれる。

雑誌「和華」創刊者孫秀蓮さんとの懇親会

2013年11月24日


今日昼12時から上野駅近くの“延吉香”で雑誌「和華」の創刊者孫秀蓮さんとの懇親会を開催した。参加者6名。今天中午12点开始,我们在上野站附近的“延吉香”举办了和杂志「和华」创刊者孙秀莲的联欢会。参加者6人。


Mukaiさん、Wei Dingさん、わざわざ遠いところからいらっしゃいましてありがとうございました。Mukaiさんのご参加で日中交流のお話で盛り上がり、アイディアをたくさんシェアできました。谢谢Mukai桑和Wei Ding桑专程从远方赶来参加联欢会。有了Mukai桑的参加,我们得以热烈讨论了许多日中交流的话题,分享了许多想法。


孫さんから「和華」「新年特別号」の寄稿募集や今後の運営等についてのお話を伺いました。パワーフルな彼女を見て、20年前の自分が何をしていたのかを考えてしまいます。平凡過ぎる日々を送ったでしょうから意義あることはあまり浮かんでこない。20年後の孫さんは、きっと素敵な思い出をいっぱい思い出せるでしょう。孙桑就「和华」「新年特別号」的稿件募集以及今后的运营等事项对大家作了介绍。看着充满活力的孙桑,我不由回想20年前的自己在做什么。大概是天天虚度了光阴吧,没能想起什么有意义的事情来。我想20年后的孙桑应该会拥有许多美好的回忆。


「和華」の編集を手伝っている陳さんからいろいろな世界有名企業のロゴの歴史のお話も面白かった。小さなロゴにもストーリーがたくさんあるなんて、初耳でした。帮助「和华」编辑工作的陈桑对世界各家有名企业标识历史研究的介绍听来也非常有趣。我今天初次知道,这些小小的企业标识竟记录着这么多的故事。


王さん家の可愛いBabyちゃんのデビューは、懇親会の一大出来ごとでした。でも写真を忘れたね、悔しい!王桑家小宝贝的登场,更是联欢会的一大要事。可惜竟然忘记拍照了,现在有点追悔莫及。

秋山忠彌先生が雑誌「和華」の創刊を祝う漢詩寄稿

2013年12月7日


秋山忠彌先生から雑誌「和華」の創刊を祝う漢詩をいただきました。

 秋山忠彌先生、元NHKチーフディレクターとして歴史ドラマなどの時代考証調査担当。「ヴィジュアル百科・江戸事情」(全六巻、NHK放送総局データ情報部編、雄山閣出版発行)に携わった。退職後江戸史研究家として執筆活動やNHK文化センター講師を永年勤めた。元市川市文化振興財団理事。元市川市文化振興ビジョン策定委員会委員(座長)。市川市民文化賞スウェーデン賞受賞。市川市教育功労賞受賞。元市川市博物館協議委員会。日本ペンクラブ会員。著書に『江戸諷詠散歩』(文春新書)『大江戸浮世事情』(ちくま文庫)『大江戸人情舞台百一景』(エピック)、『〈もの〉と日本人の文化誌』(雄山閣)等々。葛飾吟社(主宰中山逍雀)の同人として、漢詩作りも愉しむ。


秋山先生とは、数年前市川市役所が中国楽山文化交流代表団を歓迎する宴会で知り合いました。彼がその場で発表した日中友好を詠う漢詩に皆と一緒に感心した。その後、偶に一緒に食事をしたり年賀状などで文通し付き合ってきました。漢詩勉強用の本をプレゼントしてくださり、漢詩を作れと何回も促されたが、どうも出来ないものは出来ないです。あの漢詩勉強用の本を手にすると百年まで眠り続けられるような気がします...今日も再度その話をされて...一生懸命逃げ出すように頑張りました(汗...)。
今日は、雑誌「和華」の創刊を祝う漢詩をいただきました。今後、賛助や必要であれば日中友好のための寄稿を喜んでするとおっしゃっていました。「和華」応援隊のメンバーが増えて大変嬉しいです。


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秋山忠弥先生,原NHK Chief Director,负责历史剧等的时代考证调查。从事于「ヴィジュアル百科・江戸事情」(全六巻、NHK放送総局データ情報部編、雄山閣出版発行)的相关工作。退休后作为江户史研究家曾常年从事写作以及担任NHK文化中心的讲师。原市川市文化振興財団理事。元市川市文化振興ビジョン策定委員会委員(座長)。获市川市民文化賞瑞典奖。获市川市教育功労奖。原市川市博物館協議委員会。日本Pen Club会员。著书:『江戸諷詠散歩』(文春新書)、『大江戸浮世事情』(ちくま文庫)、『大江戸人情舞台百一景』(エピック)、『〈もの〉と日本人の文化誌』(雄山閣)等等。作为葛飾吟社(主宰中山逍雀)的同好,还以创作汉诗为乐。

我于几年前在市川市役所为中国乐山文化交流代表团举行的宴会上结识秋山先生,被他当场发表的以中日友好为主题的汉诗所感动。其后偶尔一起吃饭,互写贺年片,保持联系。秋山先生还送过我学习汉诗的书,好几次催促我写汉诗,可是不会的东西终归不会啊,一拿起那本学汉诗的书就能昏睡百年...今天老先生又旧话重提...我拼了命才得以逃脱(汗...)。 今天拿到了秋山先生祝贺杂志「和华」创刊的汉诗。他表示以后会参加赞助活动,如有需求,会继续以中日友好为主题免费投稿。为「和华」援助队又添新成员,很开心!

三国フェスの実施委員会から感謝レターが届きました

2015年4月14日


先日、今年1月31日の三国フェスの実施委員会から感謝レターが届きました。 左上の署名者さくら剛様の著作「三国志男」は、去年8月に元コマツ社長安崎暁先生の新書発表会のために出席した上海書展で安崎暁先生の新書と並べてあったことが印象に残っています。かなり売れているそうです。

三国フェス実施委員会が今年初行ったReadyforプロジェクトへ私の細やかな気持ちより日中草の根交流を通じて日中文化を大いに輝かせた委員会のこのレターのほうが遥かに立派で貴重です。まことにありがとうございました。

去る4月23日に、日中首脳会談がやっと実現した。短い会談でしたが、良い出来事でしょう。これからも喧嘩を完全に避けられないが、喧嘩しながら相互理解を深め、徐々に好転していくことをお祈りします。



貴州火鍋で日中三国志交流会


2023年2月5日


昨日は今年最終回(かな?)の新年会〜孤独のグルメの店の一つ新小岩南口から徒歩3分位距離の貴州火鍋で、7人の日中新旧友人と麻辣料理に再挑戦しました。


茅台は残念ながら品切でしたが、ほかの美酒佳肴を堪能しました。


最高の佳肴は歴史コラムニストである上永様自作の三国志時代の食や酒をテーマとする資料で簡単ながら面白かった。

成也美酒败也美酒、いいえ、成敗は美酒との付き合い方にあると言えよう。

ほかに私が頭が下がるほど三国志に精通する三国志フェス主催者牛島様を含む数名の日本人三国志ファン、酒に詳しい日中酒道協会の高橋理事長も、Wechatで知り合った林さんもいました。林さんが日本語達者だと知っていますが、歴史にも詳しいことを初めて知り、しかもムードメーカー的な存在でした。


皆んなといろんな話で盛り上がったし大変勉強になりました。
少人数の新年会ですが大変有意義で楽しい会でした。

素晴らしい人生 - 小さな縁がいつの間にか大きくなろうとしています

2013年8月20日


縁があり、昨年より元コマツCEO安崎暁先生の中国側パートナー会社間のコミュニケーションやグローバル企業研究会の発足のお手伝いをさせていただいております。

小さな縁が、いつの間にか少しずつ大きくなろうとしています。
これは人生の素晴らしいところだと感心しております。

もう一人のチームメンバーと一緒に、2011年7月に安崎先生と初対面に行く途中はかなり緊張しました。世界ナンバー2の建設機械メーカの元社長、会長、CEOだから。

しかし、自己紹介を含み10分間ぐらいお話し合いしますと、 まったく巨大グローバル会社の元社長と思われない人物だと感心しました。
ご一緒の井口先生も素晴らしい笑顔で大変ご親切の方です。

それから会合が数回ありました。仕事のお話だけではなく、雑談も良くするようになりました。
安崎先生は毎回、私が後3、4年ぐらいで死ぬからやりたいことを早くやろう、ご協力くださいと必ずおっしゃるのです。

初めてこのお話を聞いた時びっくりし、冗談だろうと思いましたが、毎回聞かせていただきますと、先生のこのお話の本気度が良く分ってきました。
安崎先生のお話を聞くほど、お志に感銘し、「夕阳无限好,只是近黄昏」よりも、「莫道桑榆晚,微霞尚满天」という漢詩が好きになりました。

先生のお志-「当研究会の活動や行う交流を通じて、日本や世界のビジネスのルールや常識に良く通じた中国経済人、中国の事情に理解を持つ日本の経済人の質と量を増やし、日中友好さらに世界平和に貢献できれば幸いです。」
年に90回以上ゴルフをやる安崎先生が本当に3、4年ぐらいで死ぬとは絶対に思わないが、そのお話を良く聞き、お志に感銘すると、もともと仕事が早い私もついつい安崎先生の仕事を超スピードでやってしまいます。外出先でも携帯電話で中国側とのやり取りメールの翻訳をしたりしてしまいます。
安崎先生の仕事は一時を争う仕事じゃないから帰ってからパソコンでゆっくりやりなさいと、井口先生に言われたことがあります。(笑)



我有缘从去年开始协助原小松制作所总经理安崎晓先生与中国协力公司之间的沟通业务,以及跨国企业发展研究会的成立工作。

一个小小的缘分不知不觉中渐渐成长起来了,这无疑是人生中的精彩之处,让我深受感动。

记得和另一名成员在2011年7月一起初次去见安崎先生的途中,我是相当紧张的。毕竟是去见世界第二规模的建设机械厂家的前任总经理,董事长,CEO。
但是经过10分钟左右的自我介绍以及交谈后,我不由感叹,他一点也不让人觉得曾是一个巨大集团公司总经理的感觉。
与他一道的井口先生也总是笑得阳光灿烂,平易近人。

那之后有过几次回合。我们不仅谈工作,其他话题也增多了。
安崎先生每次都会说,我还有3,4年就死了,想干的事情要抓紧时间,帮帮忙!
我初次听他这么说时吃了一惊,以为是玩笑话,不过每次听他这么说,越来越感觉到了他这话是当真的。
与安崎先生的交谈越多,我就越感动于他的志向,因此比起「夕阳无限好,只是近黄昏」,我更加喜欢上了「莫道桑榆晚,微霞尚满天」这两句汉诗。

安崎先生的志向--「我期望,本研究会通过展开交流活动,能提高理解日本以及世界商业规则的中国商业人士,以及提高理解中国情况的日本商业人士的质量和数量,并对日中友好以及世界和平有所贡献,若能达到这个目的,我将不胜荣幸。
虽然我绝对不相信一年能打90多次高尔夫的安崎先生真的会在3、4年后离开人世,不过多次听他如此说,又感于他的志向,本就干活快的我一遇上安崎先生的工作,就不由得超速运转。有时候出门在外也会用手机翻译他和中国方的来往邮件。
井口先生曾经对我说,安崎先生的工作不需要争分夺秒,你回去后用电脑慢慢做好了!(笑)

遣唐使留学僧弘法大師空海の足跡を辿る四国遍路文化ミニ体験(予定)

2015年6月15日


だいぶ昔成田空港で知り合った日本人夫婦の友人がいまして、今でも時々会って一緒に食事をしたりします。

「家に遊びに来てね」という日本人からのご挨拶を本当のお誘いだとして、何時どこに訪れればよいのかと次のお話を首長く1、2年間待ってても来なくて困惑する滞日中国人が少なくないというお話が良く出てきます。彼らは、いつもそのようながっかりした中国人をご自宅に誘い招待したりしました。このような話をすると、私は思わずに噴き出します。確かに私も昔来日して数年間ぐらい日本人に「家に遊びに来てね」と言われると、必ず嬉しく、はい何時か、お宅はどこなのかと確認したりしました...

ほとんどのことについてきちんと約束をし固く守ることで知られる日本人がなぜ「家に遊びに来てね」となると、ご挨拶ぐらいのものになるだろうかと今でも不思議ですが、もうだいぶ昔慣れました。

面白いことに、中国人は逆です。「家に遊びに来てね」というと80%以上本気だと思います。 これ以外の約束になると、本気度が下がってしまいます(笑)

余談はさておき、四国遍路文化という本題に入りましょう。
昨年6月中旬、日本のグローバル企業コマツ元CEO安崎暁先生の山形米沢の講演会に日中民間交流誌「和華」創刊者孫秀蓮さんと安崎先生の本の中国語翻訳に懸命に頑張っている私が招かれました。
その際、いつか私の故郷徳島に招待しようというお話があり、ありがとうございますとお礼を言いながら「家に遊びに来てね」というぐらいのご挨拶だと思って暫くしてからすっかり忘れてしまいました。
意外なことに、去年安崎先生のこのお話はご挨拶ではなく、本気でした。先月末、7月13日に徳島地方銀行主催の講演会があり、二人はご都合いかがでしょうか、観光のために先に行って一泊しても良いよ...とメールをいただきました。
私たちは、安崎先生のこの本気度100%のお誘いをお受けし、早めにネットで格安の早割チケットやホテルを探して予約しておきました。安崎先生にとって数千円~一万円ぐらいの経費削減があまり意味ないかもしれないが、私たちは感謝の気持ちを表すにはこれしかできませんでした。

徳島と言えば、四国の東部に位置し、さまざまな自然観光スポットや温泉に加え、特に四国八十八カ所巡りのうち、徳島には二十三所を占め、お遍路さん巡礼の旅は、徳島県第一番札所から始めます。

今回いただいたこの有難い機会を活かし、講演会で安崎先生によるハイブリッド経営の講演を聴講するだけではなくて、第16次遣唐使留学僧弘法大師空海の足跡を1億分のいくつか?辿り、1200年の歴史を有する独特の四国遍路文化を少しでも体験してみたいと思います。

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我有一对很久前在成田机场结识的日本夫妇朋友,至今有时还和他俩见面一起吃饭。 见面时我们经常会谈起有不少驻日的中国人往往把「到我家玩啊」这句日本人的寒喧话当成真的邀请,翘首盼望对方告知自己啥时去哪里,结果往往等个1、2年也没有下文因此觉得很纳闷。他俩遇上这种失望的中国人往往会将其邀请到自己家里招待一番,安慰安慰他们那受伤的小心灵。

每次这个话题一出我就会发笑,确实在我来日本后的头几年也是一听日本人说「到我家玩啊」就会很高兴地说:好,什么时候,您家在哪... 日本人因在多数事情上都惯于提前定约并坚守约定而闻名于世,然而为什么「到我家玩啊」这句话却成了个寒暄语呢?对这点我至今都觉得很不可思议,不过也早就见惯不惯了。

有意思的是中国人正好相反,中国人若说「到我家玩啊」那么其可信度可说是超过80%的。 而要换了其他约定,其可信度却会下降(笑)

闲话少提,言归正传,今天要说的是四国遍路文化体验之旅。
去年6月中旬,全球化企业小松的前任总裁安崎暁先生邀请日中民間交流杂志「和华」创刊者孙秀莲和正在拼命把安崎先生的书翻译成中文的我出席了他在山形米沢的讲演会。 那时安崎先生说啥时请你们去我的故乡德岛,我们一边道谢一边把这句话当成了「到我家玩啊」之类的寒暄语,不久就将之抛于脑后了。

出乎意料,去年安崎先生说的这句话并不是寒暄,而是当真的。上月末我们收到安崎先生邮件,说7月13日他有场由徳島地方銀行主办的讲演会,问我们二人是否方便去,并说我俩提前去观光住一晚也行。
我们欣然接受了安崎先生这个诚信度100%的邀请,立马上网搜索预约了打折机票和宾馆,替安崎先生节约了几千到一万日元的经费这对于安崎先生来说也许没有什么意义,不过对于我俩来说却是表达谢意的唯一方法了。

徳島位于四国东部,拥有丰富多彩的自然景观、温泉、特别是四国八十八所巡礼处,二十三处就在徳島,徳島県第一番札所即为巡礼之旅的起点。 获得这个难得机会的我俩,不仅将在讲演会上认真聆听安崎先生以混合型经营为主题的演讲,还希望去踏踏第16次遣唐使留学僧弘法大師空海留下的足迹之一亿分之几?、体验一下拥有1200年历史的独特的四国遍路文化。




偶然な妄想~グローバルNPOの普及は金融と産業のアンバランス修正に繋がる

2014年11月2日


11月10~14日、安崎暁グローバル企業発展研究会は、名高く尊敬たる莫邦富先生のお力を借りて、上海や南京の大学(院)で講演交流会を開催いたします。莫先生のお陰で、大盛会になれると信じております!

ちなみにですが、去る8月の上海ブックフェアで、安崎先生の講演や原著や中国語の本の中にあった産業と金融のアンバランスの修正について大いに議論されたことをはっきり覚えています。

これが今回も話題になるかどうか不明ですが、実は最近私は、仕事以外、ほとんど日本のNPO法務(会計や税務や運営全般)の研 究にはまっています。この研究過程で、何故か産業と金融のアンバランスという話題を度々頭に浮かんできます。

簡単に言うと

1.NPOといえば、関係役員やメンバー達がただで公益に献身すべきだと勘違われやすいのですが、実はそうではない。 NPO法の真髄は、関係者たちがただで働くことではなくて、利益を分配しないことにあります。

2.特定非営利(つまり公益)というNPOの本来目的、その本来目的を達成するための本来事業、利益を分配しないこと等々を決めて、定款等々という形で文書化して、役所から認証を受ければ、公益事業向けの非課税や不課税優遇制度を任意団体よりもっと適用しやすく享受しやすくなるのです。 こうなると、社会から広く支援を受けやすくなるし、政府から助成金の申請もしやすくなるので、NPOの生存問題がなくなり発展していきます。利益が出たら、限られる関係者に分配せずに次年度へ繰越され、NPOのさらなる発展に使われて、不特定かつ多数の方々の利益の更なる増進に繋がります。

3.NPO法人を成り立たせるこの利益の不分配制度を含むかなり厳しいNPO財務制度がすごく優れているものだと思います。 優遇税制や社会からの支援等のお陰で運営から生じる利益は、限られるメンバーに分配せず、不特定かつ多数の方々の利益の増進に寄与します。このシステムをこれから全世界にどんどん普及して行けば、たとえば世の中のグローバル企業もどんどんグローバルNPOへ変貌すれば、とんでもないほどの配当を受け、金融市場を撹乱できるほどの大富豪個人や組織を大幅に減らして行き、金融が産業と離れ離れというような悪循環の改善に繋がるじゃないかと思います。
以上、金融と産業のアンバランス修正に、グローバルNPOの普及の角度からの、私の偶然な発想でした。国や世界レベルの規制という通常の考えと異なるようで、似たような気もします。

全球化NPO的普及作用于金融和产业的失衡修正~我偶然的妄想


得到尊敬的著名的莫邦富先生的大力协助,安崎晓跨国企业发展研究会将于11月10~14日在上海以及南京的大学(院)举办讲演交流会。相信莫先生的鼎力相助定能让此次活动成为一大盛会!

写下上面这两行字后我立即清晰地忆起,在今年8月的上海书展上,安崎先生的讲演,其原著以及中文版著作里提及的关于修正产业和金融关系的失衡的话题引起热烈讨论的情形。

关于这点在本次的交流会上是否也会成为话题,尚不得而知。不过最近的我,除了工作,一头钻进了对日本NPO法务(财会,税务以及运营全般)的研究之中。在这个研究过程中,产业与金融的关系失衡这个话题时时浮现在我的脑海里。

简而言之如下:

1.一提NPO,不少人就会误解为关系者们免费献身于公益事业,然而实际上并非如此。NPO法的真髓并不在于让关系者们免费工作,而在于不得分配利益之处。

2.定下特定非盈利(换言之为”公益”)这个NPO的本来目的,为实现这个本来目的而展开的本来事业以及利益不分配等等事项,将其明文化为”定款”等等文件,得到政府管辖部门的认证后,NPO就可以堂堂享受面向公益事业的非课税以及不课税优遇制度了(当然不否认没有认证的公益性任意团体也能享受)。如此一来,NPO更易于广泛获取社会的支援,政府的补助金,生存问题解决了,进而得以发展。盈利后,利益不是分配给有限的关系者,而是划入下个年度,用于NPO的更加发展,贡献于不特定多数收益方的扩大事业中。

3.我认为,包括这个让组织获得NPO法人资格的利益不分配制度在内的,NPO的严格财务制度是个非常优秀的制度。得益于优遇税制以及社会支援等等获取的利益,不分与有限的关系者,而是贡献于扩大不特定多数收益方的事业中。 如果这个制度能在全世界更加普及,比如世界上越来越多的全球化企业都变身为全球化NPO,不就能减少极少数大股东分得天文数字利益,大大减少足以能搅乱金融市场程度大富豪个人以及组织,进而对金融大大偏离产业这个恶性循环能有所改善吗?
以上是我关于金融和产业的失衡修正,从全球化NPO普及的角度出发的偶想。虽与在国家以及世界层面实施相关规制这个通常想法不同,也不无相似之处。

コマツ元社長安崎暁先生 末期癌から奇跡の回復

    2018年2月3日

    去年12月11日に、末期肺癌、肝癌、胆囊癌にかかったコマツ元社長安崎暁先生が参加者千人位規模の感謝の会を行ってから1ヶ月以上立ちました。

    1ヶ月余にわたり数多い媒体やテレビ局からのインタビューや出演依頼を断ってきた安崎先生は、ようやくご支援の日中交流雑誌創刊者の孫秀蓮さんからのインタビュー依頼に応じるようになり、私も幸いに同席することになりました。

    今日午後、先生がご自宅ビルの違う階にある一室で2時間ぐらい孫さんからのインタビューを受けました。

    その前には待ち合わせるところで、ただ2ヶ月未満で車椅子なしで立てるようになったのだけじゃなく、歩いている先生の姿を見てほっとする前にびっくりしました。放射線治療を拒否したのがなんて勇敢かつ英明なご決断でしょう!

    末期がん患者の復活の証人として、偉い精神力の証人として、彼を支える奥様の愛の証人として、20世紀日本の経済発展に大きく貢献された功人が引退後、閻魔と戦いながら伝説な人物への過程の1レポーターとして同席いたしました。

    頂いた大きな力をシェアさせて頂きます。

いろんな意味合いで、こちらこそ安崎暁先生に感謝を申し上げたい

2017年12月11日

今日は、日中経済交流の大先鋒でコマツ元社長 安崎暁先生の「感謝の会」に出席いたしました。

赤坂ANAコンチネンタルホテルのB1会場へ入ろうとした際、入場許可がない媒体関係者も結構いました。彼らをみて、私が入場できて大変有り難いです。こちらこそ、安崎先生に感謝を申し上げたい気持ちです。

今まで安崎先生とのメールやり取りで、500人位来るとお伺いしましたが、実際、会場には大勢の方々が見えて、とっても500人だけに見えませんでした。

安崎先生の2冊目の中国語版の本の企画や出版をしてなお本の出版直後今年9月初旬安崎先生に講演を頼んだ中国の健峰企管のCEO葉様も「こちらこそ安崎先生に感謝を申し上げます」為に、この「感謝の会」にわざわざやってきました。

車椅子に座った安崎先生は、会場の中をまわり、皆さんと握手したり気軽にご挨拶や雑談をされました。顔には苦しみとか全然見せなかったが、お伺いしたら胸のほうへ指差して痛いよと…笑顔を見せながらおっしゃってました。どれほど強い意思の持ち主か、想像がつきません。

終盤頃、徳島県の阿波踊りが始まり、あまりの美しさ、素晴らしさに感動し涙を堪えるほどでした。

人生の幕を自らこんな素敵な閉じ方で閉じる安崎先生から逆にパワーをいっぱいいただきまして本当に感謝感激です。

先日、ある先生より頂いた薬情報(森元首相の癌を治したというオプジーボ)を安崎先生へ転送しましたら、「高額な薬を使って日本の財政悪化を進めるようなことはやりたくない。」と、言葉を失わせるご返信いただきました。処方薬じゃないから国の財政悪化を進めることないと、後日再度メールで申し上げて見ようと思っております。

また、この「感謝の会」のお陰で、久しぶりに数人の友人に再会できて嬉しかったです。

いろんな意味合いで、こちらこそ安崎先生に感謝を申し上げたいと思います。

最後に、誰でも出口辺りに設置されているビデオカメラに向けて安崎先生へ音声メッセージを残せるので、私も並んで私のメッセージを残しました「安崎先生、頑張ってもう10年間生きてください。この会をただのイベントにしましょう!」

鎌倉もみじハイキング

 2022年12月3日


今日はある友人の友人が企画主催した鎌倉もみじハイキングに参加。

もみじは見頃過ぎても綺麗で、北鎌倉駅から、源氏山へ、源氏山から鎌倉駅へ、仲間たちと楽しく歩いた。

鎌倉駅近くの浄光明寺で楊貴妃観音があり、右側には中国語の長恨歌で左側は日本語の書き下し文です。

こちらで日中両国文化交流の長い歴史で深い感銘を受けた。

童心社見学記

2018年3月20日

昨日、中国故郷の友人夫婦と留学中の息子さんを連れて童心社を見学致しました。

この友人劉さんとは、同じ故郷だったが、私よりいくつか年下だから、今までどんな仕事をされているのか余り関心なかった。
先月、日本観光に行くよと、彼から中国のSNS Wechatで声を掛けられてから交流が増えてきて、多数の子会社持ちの巨大中国出版グループのシニア編集主幹(大学にたとえるなら、教授位)だと分かり、観光や買物ばかりじゃなくて日本の出版社見学を提案しました。そして、Facebookや交流会で交流を保っている童心社の田中社長にご相談し、童心社の見学を決めました。

やはり、劉さんは童心社の少数精鋭な陣営や作品の精緻さに大変感心しました。紙芝居以外の児童作品に興味を示したが版権がすでに完売されたと聞いて残念がってました。

夕方、田中社長の行きつけの蕎麦屋さんで、様々な美味しい日本酒や日本料理を頂きながら、楽しい会話を続けました。
真夏に私の故郷から車で1時間弱離れ、真夏でも10度前後の国家森林公園(黄水)へ行こうという話になりました。黄水は、まだ自然そのものですので、私を含め、ほとんどの人は一度行ってみたら、癖になって、夏になるとまた行きたくなるところです。5月に入って早々企画したいと思います!Meeting

また、面白いことに、今日私は劉さんの出版社と童心社の売上と社員数で、人当たりの売上を計算してみたら、びっくりする結果が出ました。
劉さんのグループ会社年間売上20億元(約334億円)で社員数1300以上 VS 童心社は年間売上14.25億円で社員数26人
劉さんのグループ会社 約25,700,000円/人 VS 童心社 約54,800,000円/人

童心社の人当たりの売上は、劉さんのグループ会社の人当たり売上の2.1倍強です!

これをWechatで投稿したら、規模を追求する中国企業、精緻さと効率を極める日本企業、日本企業の強いところを認めるべき等など、様々なコメントが入ってきました。
中に、独特なコメントもありました。中国の出版社は1300名か1300家庭をを養っているが、童心社は26名だけ養っているから、中国が勝つと。このコメントは真剣か冗談かは別にして、私は笑ってました。確かに経営的な立場で言うと童心社が勝つが、民生的に言えば劉さんグループですね。立場を変えて物事をみれば、敗者が勝者にもなる。大変お面白いです。

ちなみに、劉さんと童心社の田中社長は、お互いの強いところを認め合い、和気あいあいでした。平和で良いですね!

長野県大町市美麻に新規オーペンした民宿に2泊泊まりました

2022年8月14日

8/12から友人の友人の友人(人の繋がりが凄い😂)が長野県大町市美麻に新規オーペンした民宿に2泊泊まりました。

12日昼頃長野県に入るとまず手前ざるでそばを頂きました。
午後は民宿の周辺を散策したりして夕方頃からバーベキューやオーナーさんと若者たちの演奏会やダンスで大いに盛り上がりました。
それから深夜迄にblockus 激戦組とお喋り組に分かれ、私はお喋り組に入って若者数人のAIや言語哲学などについての激論を聴講しすべて分かる訳ないがなるほどと思うところもよくありました。今の20代の若者が素晴らしいと大変感心し素直に称賛しました。素直になれば若者達とも楽しく交流できて大変嬉しかった。

翌日は台風や雷雨という天気予報が見事に外れたお陰で(晴れ女の私のお陰かも😂)朝食後近くの山道を凡そ5キロ軽くハイキングしました。

午後は買出しと温泉、夜は火鍋会で又大いに盛り上がり。深夜迄には喋り会とblockus会再開、私は初めてblockusに挑戦して思った通りにラストナンバーワンになったがなかなか面白く趣味が1つ増えて良かったです。

明日も休むと明後日過労死になるじゃないかと思うので私が皆さんより1日早く、今朝帰りの電車に乗りました。電車の中で写真を整理したりして楽しんだ事や学んだことを味わっています。

最後の写真ですがオーナーさんが自作した屋台で車から外すも組立ても簡単にでき、777777円で売りたいそうです(笑)

安崎暁グローバル企業発展研究会のブログの新URL

2023年2月11日 先日のミニ三国雑談交流会がきっかけで、以前携わった 安崎暁グローバル企業発展研究会のブログ が消えた事に気付きました。 実を言うと、安崎先生は当時、終活として1冊の本(結局2冊)を出したがっただけでした。なので、中国側出版社からいくつかの大袈裟な販促や講演...